カテゴリ
以前の記事
2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2013年 06月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2007年 10月 お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2009年 11月 30日
さてまだイラクは5連休の中日であり、プロジェクト関係でアルビルから報告できることはございません。12月2日にサブリーンのお別れ会があるとのことで、私のブログの拙文に筆を入れ、お別れの言葉に代えさせていただきます。
2005年8月イブン・ガスワン病院での院内学級を始めるため、イブラヒム先生を初めてバスラに派遣した時、彼はたくさんの写真と子供たちの絵を持って帰ってきた。その中にサブリーンの絵があった。イブラヒム先生が持って帰った100枚近くの子供たちの絵の中で、彼女の絵は光っていた。彼女が描いた手足と目に特徴のある女の子は絵の中で生き生きしていた。その後イブラヒム先生がバスラから絵を持って帰るたび、サブリーンの絵を楽しみにし、数多くの絵の束からそれを見つけては喜んでいた。 今年5月バスラを訪問した時、初めて彼女に会った。すでに、同行していた他の日本人に絵のことを褒められていたのだろう、彼女の顔は晴れやかで堂々としており、晴れ着を着ていた彼女の立ち居振る舞いは美しかった。私は「サブリーンか?」と声をかけ、「写真撮ってもいいか」と聞いた。彼女は人でごった返すナースステーションの前で、にこやかにほほ笑んでくれた。それ以上アラビア語で会話する能力は私にはないので、ありがとうと言っただけであった。 当たり前のことであるが人は死ぬ。天寿を全うする人もいれば、青壮年期に志半ばで亡くなる人もいる。また、サブリーンのようにまだ青春期を迎える前、世界が認識できる前に亡くなる子供たちもいる。ドライな言い方であるが、早いか遅いかの問題であって、この自然の中では、この世の中では誰がいつどこでどのような死を迎えようが、取るに足らないちっぽけなことだ。しかしである・・・・。 一人の人間はちっぽけな存在にすぎず、その存在は無意味に等しいかもしれない。しかし時として、空間的時間的広がりのある人類の中で、そのちっぽけな存在は大きな意味をもち、かけがえのない存在となることがある。それは残された我々が、そのちっぽけな存在が遺していったもの、言葉・笑顔・仕草・落書きのような絵といったものを記憶し、人々に伝えていくことで成就し得る。 歴史や身の回りに生じたことで、2度と生じさせないために決して記憶の闇に葬り去られてはいけないもの、あるいは人類を実り豊かにするであろう芸術や思想、そういったものを一つ一つ拾い上げ、それを記憶し続け多くの人に伝えていくことで、ちっぽけな存在は永遠の存在となりえる。 サブリーンの絵もその一つと私は感じる。彼女の幸せとは言えないであろう15年という短い人生に何が起こったか、つらい闘病の中でどんな夢を描きどんな絵を描いたか、最期を迎える前にどのような言葉を遺したか、それらに思いをはせ記憶し、伝え続けることで彼女のはかない人生は大きな意味をもち始める。そして伝える我々はメッセンジャーとしての存在意義を持ち始める。 どんどん伝えていきましょう。彼女の描いた絵を。 by Dr.イーノ
by jim-net-news
| 2009-11-30 02:54
| 癌・白血病
|
ファン申請 |
||