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2016年 11月 27日
2015年は、怒涛のように難民たちがヨーロッパに移動した。
たとえばドイツには一年間で100万人を超える難民がたどり着き、多くはシリアからだった。 そして、「シリア難民」という言葉が流行語のように定着したかに思える。 しかし、所詮流行語は、一年もたてば忘れ去られてしまう。今から10年前、「イラク難民」という言葉も流行語になった。ちょうど宗派対立が激化し、シリアにイラク難民は150万人、そしてヨルダンにも80万人ほどのイラク人が難民として逃れた。しかし、難民キャンプなどは一切作られず、UNからの支援をもらいながらも、自活をしていた。ヨルダンはある時期から、イラク難民の追い出しにかかり、それでも、資産家のイラク人たちは歓迎し、貧乏人は追い出してしまった。多くのイラク人はシリアに流れた。しかし、シリアが150万人もの難民を受け入れることができただろうか?アメリカからは、テロリスト支援国家の烙印を押され、また、旧態依然とした独裁体制は、外国のNGO などが入ってくるのを極端に嫌がった。これには一理ある。外国のNGOなどがこようものなら、高額で人材を政府から引っこ抜いていく。やつらと来たら公務員の2倍から10倍は給料を払うだろう。シリアが抱えることになった150万人のイラク難民、その後のシリアの不安定化の要因にはならなかったのだろうか。 国際社会は、イラク難民を第三国定住させる取り組みを始めた。 命の危険にさらされた難民たちはというと、主に、多国籍軍の通訳をさせられたり、米軍基地で食堂や清掃をしたり、そんな連中に、脅迫状が送られた。イラク戦争を支持した国には特に責任があったので、数万人のイラク人は、アメリカやヨーロッパに第三国定住していった。 ただし、日本は、たとえ、日本のメディアの通訳をしたために、脅迫状が送られても、難民性はないと判断し申請を平気で却下してしまった例が一件だけあった。その人は、私の知人だった。 日本は、受け入れない国だとわかっているから、他の人たちは、日本へ行くことを希望もしなかった。 シリア人は、その当時、第三国定住させてくれそうな大使館に並んでいるイラク難民をうらやましく思っただろう。特に若い世代には、ちんきなシリアに別れを告げてヨーロッパで成功したいという願望は強かったと思う。 アップルを作ったのはシリア移民なのに、自分たちの国にはI-phone は、ない。インターネットですら制限されている有様だ。kulna Sawaというシリアのバンドは、ちょうどそのころ Every day I say という曲を書いている。 https://www.youtube.com/watch?v=02aU2TkeEd4 10年前にシリアからロンドンに移住した家族がいた。 しかし、実は彼らは、自分たちがイラク人であると偽りイギリスに渡航したのである。詳しい話は教えてもらえなかったが、イラクのパスポートなど簡単に偽造品を買うことができたのだ。 イギリスは、自分らがイラクにしてしまったことに責任を感じ、行ってみればあるシリア人の家族のそういう詐欺にまんまと引っかかってしまったのだ。最近になって、偽装がばれてしまったが、シリアに送り返すわけにはいかず、改めて難民として認められたそうだ。 今は、「イラク難民」という言葉はなかったかのように忘れ去られてしまった。 しかし、問題は解決しない。シリアにいた多くのイラク人は、まだイラクの方がましだとイラクに戻ってきたが、シリアの内戦は、イラクにも波及し、ISは両国にまたがって支配を続けている。 今度は、面白いことに、シリア難民に紛れ込んで、ヨーロッパに渡ったイラク人たちもいるのだ。 そういうヨーロッパへの移住の波も一年経ち、落ち着いたかに見える。 そして、日本人はすっかり、難民たちが狂ったようにヨーロッパにむかったことも忘れ去ろうとしている。 今回のチョコ募金のテーマは、EUに行った難民たちを訪ねながら、イラクの平和を考えようという企画なのだ。絶対に彼らがヨーロッパを目指さなければならなかった理由を忘れてはいけない。そして、イラクに残っている人たちを僕らがどうするのか。ヨーロッパが解決であろうはずがない。そして日本が難民を受け入れるなんてなおさら解決にもならない。一体何人の人たちが家を失って、テントやストリートで暮らしているのか。それはすべて私たちが、国益のためだと信じて、アメリカについていった責任なのだ。 というのが、私の個人的な考え。
by jim-net-news
| 2016-11-27 01:00
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