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2008年 03月 03日
5年で変ったことといえば、宗教。
イラクだけでなくシリアも、パレスチナも宗教や宗派を超えた世界連帯を目指していた。 ソ連の影響や社会主義が中東において強かったこともある。 サダム政権が崩壊した2003年の4月、いままで禁止されていた、シーア派のアル・フセイン(預言者の孫)を偲んだ行事が解禁になる。 写真は2003年4月撮影 サダム政権のときに禁止されていた理由は、シーア派は、アル・フセインがウマイヤ朝のカリフに惨殺された痛みを追体験しようと、自らの体に鞭打ち、出血することをよしとするために、狂信的な信者は、トランス状態になると、宗派対立にも繋がりかねないということだろう。 いざ解禁されると、ドンドンエスカレートしてシリアにある、サイダ・ザイナブのモスクでも過激な祭事が行われるようになった。 シリアとイラクは、もともと同じバース等でも袂をわかったことや、アラブの覇権争いでアサド大統領とサダム大統領が激しくやりあったこともあり、国交も一時断絶。シリアは、湾岸戦争では多国籍軍側でイラクと戦っている。だから、もともとイラク人はあまりいなかったのだが、イラク戦争で一気に難民化して住み着くイラク人も増えたのだ。 さて、JIM-NETの特派員は、シリアにいるイラク難民からも話を聞いてみようと早速調査にダマスカスに向かったのだが、ちょうどアルバイーンというアル・フセインを偲ぶ日に出くわした。 ホテルも、イランなどから大量の巡礼者を受け入れているために満室のところが多い。 早速、夜サイダ・ザイナブのモスクに出かけてみると既に巡礼者が一杯いて明日のために包丁を研ぎ澄ました包丁を自慢げにみせあっている若者たちもいた。 ナイフを突きつけられる編集長 翌日は、こんな風にインドやイランなどから集まったシーア派教徒が流血していた。 私たちが宿泊しているホテルにも頭から血を流したイラン人の客がモスクから帰ってきたところだった。 イラクでは、宗派対立はなかったとよく言う。 これもサダムマジックだったのだろう。一方で、世界のイスラームの潮流はどんどんと原点に戻っていっている。それをサダムは得意のオールドスタイルでせき止めていたのであろう。 とはいえ宗教のことはあまりわからない事務局長ゆえ、イスラームアドバイザーの加藤職員にいろいろ教えてもらっている。
by jim-net-news
| 2008-03-03 07:04
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