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2008年 08月 01日
古い新聞をあさっていたら7月21日のシャルク・アルアウサト紙に以下のような記事が出ていた。
「イラン系クルド人難民 クルド地区へ行くことを拒む」(クルド自治政府は難民の受け入れに消極姿勢示す) クルド自治政府は声明で、イラク戦争以来ヨルダン・イラク国境の狭間にあるキャンプで難民生活を続けている194人のイラン人難民を受け入れることに対し消極的であると述べた。 また難民側からの声では、仮にクルド地区定住後もイランの武装勢力に襲われることを恐れ、クルド地区への移住はできないと主張する。 UNHCRマハー・シドゥキーによれば、「我々はこのイラン系クルド人難民の問題を今後も解決に向け努力していくつもりです。かつてクルド政府とはアルビール付近に彼らを受け入れるということに合意がなされたはずなのにどうしてそれを変更させてしまったのか。その答えをクルド自治政府に求めています。」 一方で難民生活を送っている彼らはアルビールよりも、アメリカやオーストラリアなど他国への移住を望んでいるという。そのために、なんとかそういった国に移住できるようUNHCRなどに働きかけを行ってきた。 難民キャンプの代表アクバル・カーデリーによると 「我々はクルド地区への移住を望んでいません。なぜならば我々はイランの政治体制に反対の立場を取っていますし、もしクルド地区へ移住したならば我々の生命が危険に晒されることになるでしょう。特にイラク政府とイランの関係は特別です。それに加え、イランを支持する武装勢力はイラク内のどこでも動き回ることができ、我々を襲うことも可能です。特にイラン大統領アフマディ・ネジャドがイラク訪問を行った後はそれが顕著になっています。」 イラン、イラクを除き 安全が得られる国へ移住できるよう国連機関等に訴え続けている。 このキャンプはJIM-NETも訪れ、スマイル子どもクリニックの加藤先生らの協力のもと健康診断を行ってきた。キャンプの状況は苛烈である。この夏の季節、国境の砂漠地帯にあるキャンプの暑さは厳しい。また飲み水が衛生的でないためにキャンプ内では何人も腎臓に炎症を持つものや、下痢に苦しんだりしている。キャンプからの最も多いリクエストは飲料水を消毒する塩素である。 今年の6月に我々が加藤先生らとキャンプを訪れたとき、何人かの子どもを診察したが、その中にはがんが疑われる少年や糖尿病の少女などがいた。その内がんの疑いがある少年が国連と赤十字の協力を得て、アンマンに来ることができた。現在検査を受け、その結果を待っているところだ。 アリアン(7歳)と父親アジーズ(46歳)の2人が国際赤十字の車でアンマン入りし、現在はアンマン赤新月病院に入院している。 アリアン アジーズ「ここに来る前に、キャンプの仲間からアンマンの滞在費が必要になるだろうと思ってお金を借りてきました。みんなから集めて5ヨルダンディナール(800円ほど)をポケットに突っ込んできました。それだけです。」 彼は息子の事を非常に心配して何度もこう呟いていた。 アジーズ「自分はもうこんな年になっていますから、自分の未来はなくたっていいんです。ただこの子や他の息子達がこの先どうなるのか・・・」 彼は妻と8人の子どもがおり、難民キャンプで生活を送っている。 コマール(同難民キャンプの幼児で水頭症の治療のために難民キャンプとアンマンを行ったりきたりしていた。現在は退院してキャンプに戻っている) そして「コマールのときもそうでしたが、治療は確かにありがたい。しかし我々が欲しいのは最終的な解決です。何かあった時だけキャンプの外に出られるなんて・・・。人権と言う言葉は一体何なのです?誰だって人は好きな時に外に出て、そして仕事ができる、そういうものでしょう。そういうものが我々には与えられないのですか?もし人道支援というものがあるならそのような最終的な解決を我々に与えて欲しい・・。」 このように何度も訴えていた。 彼は1979年にイランのカルマーシャからイラクのバムーゥという国境の村に移住した。当時は宗教的、政治的な理由で彼らクルド人が迫害されていたという。それ以降85年に2万人の難民と共にラマディーへ移住、その後2002年にはディヤーラのハーリキーンへ移住、そして2005年の6月30日に現在のキャンプへ移った。かれこれ30年近くも難民生活を送っている。 アリアンの父アジーズ アジーズ「難民キャンプでは気を紛らわす遊び相手として犬を飼ってるんです。犬同士でさえわかり合えるのに、人間のほうは、宗教だ政治だのといってお互いにほえ合って、わかり合えないものです。人間より犬のよっぽどマシですよ。」笑ってみせたが、その後これまでの人生の辛い経験が甦ったのか、笑い声は涙をこらえる声に変わっていた。 アリヤーンはアラビア語が解らないため、きょとんとした表情で父親をみつめていた。それに彼はずっとキャンプで過ごしてきているため、なぜ父親が涙したのかおそらくわからないのだろう。時折差し入れたコーラをちびちび飲んでいるだけでおとなしい様子だった。 数日以内にアリヤーンの検査結果が出る予定だ。見つかった腫瘍が悪性のものでないことを祈る。 t
by jim-net-news
| 2008-08-01 08:59
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