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2008年 03月 04日
イラクを攻撃して、世界は平和になりましたか? イラク戦争開戦5周年を記念したポスターを作りました。 早速事務所に張ってみました。大きいのでなかなか迫力があります。 いたずらっ子のイラフが絵をはがさないように気を使わなければなりません。 #
by jim-net-news
| 2008-03-04 07:39
2008年 03月 03日
イラク各省が発表したところによると、先月の間だけで721人の犠牲者が出ていたことが明らかになった。 またイギリス防衛省の発表によれば、イラク南部においてイギリス空軍による攻撃によるイラク人被害者は185に昇る。 またイラク軍の情報によると、路上に仕掛けられた爆発物のより3人のイラク兵が犠牲となり、3人が怪我を負った。 またイラク警察によると、バグダードの南、マフムーディーヤ地区で同様に路上に仕掛けられた、爆発物によって2が死亡、3人が怪我を負ったと発表した。さらにキルクーク南部のシーア派トルクマン人地区において、カルバラからの帰路にあった旅行者を何者かが襲撃、15人を誘拐した。 記者会見における声明で当局のアブドゥッラー=バヤーティーはこの襲撃はアル=カーイダによるものであるとの見方を示し、彼らが昨日朝に市民が乗った車を襲い、中にいた乗客をキルクークからおよそ135キロ離れた、山岳地域に連れ去ったと話した。 また同様に、シーア派トルクマン人がカルバラからの帰路、襲撃を受け、男女ともに犠牲者を出し、11人が負傷した。 さらに、バグダード西部のアーミリーヤ地区において爆発物により警察関係者2人が死亡、6人が負傷した。 また警察当局が発表したところによると、バグダートの2地区で2人の遺体が発見されている。 イラク政府の3省庁が発表したところによると、先月2月の一ヶ月間だけで暴力行為による犠牲者の数は一月と比較して36%も上昇していたことが分かった。イラク防衛省、内務省、保健省の3省による統計の結果、先月2月の間の数週間だけで、721が殺害されていることが判明した。(1月の統計では541人が犠牲となっている。)被害者のうち、636人が市民、65人が警察関係者、20人が軍関係者である。また負傷者は市民が705人、軍、警察関係者が142人となっている。 アメリカ軍が発表したところではアル=カーイダに関与すると思われる6人を殺害、131人をイラク中北部で逮捕したとしている。 Ad-dustour 2 murch 2008 アラブ、国際関連記事 P33 #
by jim-net-news
| 2008-03-03 16:02
2008年 03月 03日
5年で変ったことといえば、宗教。
イラクだけでなくシリアも、パレスチナも宗教や宗派を超えた世界連帯を目指していた。 ソ連の影響や社会主義が中東において強かったこともある。 サダム政権が崩壊した2003年の4月、いままで禁止されていた、シーア派のアル・フセイン(預言者の孫)を偲んだ行事が解禁になる。 写真は2003年4月撮影 サダム政権のときに禁止されていた理由は、シーア派は、アル・フセインがウマイヤ朝のカリフに惨殺された痛みを追体験しようと、自らの体に鞭打ち、出血することをよしとするために、狂信的な信者は、トランス状態になると、宗派対立にも繋がりかねないということだろう。 いざ解禁されると、ドンドンエスカレートしてシリアにある、サイダ・ザイナブのモスクでも過激な祭事が行われるようになった。 シリアとイラクは、もともと同じバース等でも袂をわかったことや、アラブの覇権争いでアサド大統領とサダム大統領が激しくやりあったこともあり、国交も一時断絶。シリアは、湾岸戦争では多国籍軍側でイラクと戦っている。だから、もともとイラク人はあまりいなかったのだが、イラク戦争で一気に難民化して住み着くイラク人も増えたのだ。 さて、JIM-NETの特派員は、シリアにいるイラク難民からも話を聞いてみようと早速調査にダマスカスに向かったのだが、ちょうどアルバイーンというアル・フセインを偲ぶ日に出くわした。 ホテルも、イランなどから大量の巡礼者を受け入れているために満室のところが多い。 早速、夜サイダ・ザイナブのモスクに出かけてみると既に巡礼者が一杯いて明日のために包丁を研ぎ澄ました包丁を自慢げにみせあっている若者たちもいた。 ナイフを突きつけられる編集長 翌日は、こんな風にインドやイランなどから集まったシーア派教徒が流血していた。 私たちが宿泊しているホテルにも頭から血を流したイラン人の客がモスクから帰ってきたところだった。 イラクでは、宗派対立はなかったとよく言う。 これもサダムマジックだったのだろう。一方で、世界のイスラームの潮流はどんどんと原点に戻っていっている。それをサダムは得意のオールドスタイルでせき止めていたのであろう。 とはいえ宗教のことはあまりわからない事務局長ゆえ、イスラームアドバイザーの加藤職員にいろいろ教えてもらっている。 #
by jim-net-news
| 2008-03-03 07:04
2008年 03月 02日
カタログハウスの読者から寄せられた募金の一部は、フセイン国王がん基金を通してイラクのこどもの治療費に使われています。
昨年9月、フセイン国王がん基金の総裁であるディーナ王女との打ち合わせで、年間100万円をめどに日本で募金活動を行うことを決定しました。 ヨルダン人がイラクのこどもたちを助けようとしている ヨルダンは、イラク戦争直後から、イラク人道支援には積極的でした。特にイラクで多発している小児がんの子どもたちの救済には積極的で、何人かのこどもたちをヨルダンに招き、医療費のみならず、住居費なども支援を行ってきました。アメリカの俳優ポール・ニューマンは資金を提供した一人です。しかし、イラク戦争後時間が経つにつれて、イラクへの関心も薄れお金は集まりにくくなります。かたや、イラクでは治療を受けられないとヨルダンに出てくる患者は後を経ちません。患者の治療費は、400万円―1600万円(骨髄移植をした場合)程度かかります。 2004-2006年はイラクの患者8名に対し、フセイン国王がん基金から1000万円程度拠出されましたが、本来この基金はヨルダン人が優先されるもので基金全体の17%にあたります。イラクの関心が薄れお金も集まりにくくなるなかで、フセイン国王がん基金の総裁であるディーナ王女は、イラクのがん患者のための基金を2006年に立ち上げました。ヨルダン社会で成功しているイラク人企業家などにもっと振り向いて欲しいという願いも込められています。すでに、在ヨルダン・イラク大使の名の下に120,000ドル、タラバーニ・イラク大統領夫人が個人として50,000ドルの寄付を行っており5名のイラク人が支援を受けました。 JIM-NETの基本方針は、限られた個人を外国で治療するのではなく、イラク国内で治療できるようにしよう、というものです。しかしながら、ヨルダンの社会が中心になって、イラクのこどもたちを助けようという既にある動きに対して、わずかながらでも力になり、募金活動の呼び水になればいいとの考えに実現した支援プログラムで、日本円で100万円が寄付され、マルヤムという白血病のこどもの治療費に使われました。患者の選定はフセイン王がん基金と相談のもとに決定されました。 王女と打ち合わせをする佐藤事務局長 マルヤム一家の苦しみ イラク人少女マルヤム(13歳)は日本のアニメが大好きな女の子だ。初めて会ったときもしきりにアニメの話ばかりをしていた。「何が好きなの?」と聞くと、「名探偵コナンが一番!」と答えてくれた。しかし彼女はその大好きなアニメを見ることができない。彼女は白血病に冒されてしまい、それが視神経にまで影響してしまったのである。 マルヤムはバグダード、アザミーヤ地区出身。2006年3月から微熱が続くようになり、心配した母親が彼女を病院に連れていったが、その時は白血病であるとの診断はなされなかった。しかし微熱が続き、どんどん視力が低下したため、再び病院で検査を行った。バグダードのアルウィヤ病院で白血病(ALL)と診断されたのはその年の10月になってからだった。彼女が白血病であると診断されてから彼女はすぐに治療のためヨルダンに移った。母親と二人だけの闘病生活が始まったのである。 アンマンのヨルダン病院に入院し、2コースの化学療法を受けた後、カタログハウスの読者からの支援でキングフセイン=カンサー・センターに転院した。この時にはほとんど視力は失われてしまっていた。 母親との二人だけでヨルダンに来たのには実は理由がある。マルヤムの父親が行方不明になっているのである。2006年の3月。丁度マルヤムの身体に異変が現れ始めた時のこと、これまでイラク軍でパイロットとして働いてきたマルヤムの父親が忽然と姿を消してしまったのである。当初からあらゆる手を尽くして探したが見つからなかった。家族は父親の死を覚悟したそうだ。しかしその後、人づてに父親の消息に関する情報が入ってきた。マルヤムの父親とおぼしき人物がクーバー警務所に拘留されているらしい。しかし入ってくるのは断片的な情報のみ、かつ刑務所はアメリカ軍によって管轄されており、面会はほぼ不可能である。母親によると、米軍によって刑務所に拘留されているイラク人のほとんどが無実だという、さらに正当な裁判も行われないまま不当に長い期間拘留されてしまう。時にはひどい虐待をうけることもある。マルヤムの母親は「娘の治療のためにヨルダンに来たが、夫の安否を確かめるためバグダードに一刻も早く戻りたい。自分の身が引き裂かれるような思いなの」と心情を吐露していた。 現在、マルヤムの治療の経過は順調である。化学療法の結果、100%に近い反応が見られた。それは、白血病のタイプが正しく診断された結果でもある。イラクでは、試薬の不足、染色技術の未熟さなどから、診断がうまく言ってないこともおく、その部分がヨルダンで出来たことが大きい。 彼女の容態も安定しており、治療はあと2年ほどで終了するだろうとのことだ。今後の治療については、バグダードでも可能なため、JIM-NETが支援を続けているこども福祉病院に移り、そこで治療を続ける方針だ。 加藤丈典特派員 アンマン #
by jim-net-news
| 2008-03-02 22:27
2008年 03月 02日
3月20日、まもなくイラク開戦から5周年を迎える。
イラクの報道がなくなるなかで、果たしてこの戦争はどうだったのか。振り返りもない。 私自身、2002年からイラクにかかわることになり、あれこれ5年も支援を続けていることの達成感と一方で無力感を感じることもある。 やはり、日本がこの戦争を支持したことの意味はしっかりと考えるべきだ。 あまりに、大きな過ちをアメリカが犯してしまった。そのことは、多くの要職にあったアメリカ人が既に認めている。 この5年間が一体イラク人にとってどのような期間であったのか、イラク人の物語を紡いで生きたいと思います。 題して「砂漠の待雪草作戦」 JIM-NETスタッフの任務は、待雪草をイラクからつんでくること。 待雪草の花言葉は、「希望、慰め、楽しい予告」 今のイラクに必要なキーワードです。 「森は生きている」という戯曲があります。ロシア民謡を元にしたお話で、わがままな女王が、大晦日に、春にしか咲かない待雪草を見たいと言い出し、大変なことに。 お金に目のくらんだ老婆は、まま娘を雪の中に行かせます。不憫に思った、12の月の聖霊たちが、月を入れ替えて、お花を摘ませてあげるというお話です。 今のイラクには、春は早すぎるかもしれません。 しかし、1月11日には、バグダッドで100年ぶりの雪が降りました。 また、アダムとイブが楽園を追放されたときに雪が降ってきて途方にくれているときに天使が、雪を待雪草に変えたという伝説があります。楽園は、今のイラクのバスラあたりだといわれています。バグダッドにふった100年ぶりの雪は花に変ったのかもしれません。 そこで、JIM-NETのスタッフが、イラクに咲いた待雪草を摘みに行きます。待雪草=イラク人のストーリーです。 札幌から「待雪草がさいた」と電話がかかってきました。とある人物が、東京の某事務所に球根を仕込んでおいたそうで、出発直前に花を開いたのです。 私は、待雪草を見るのは初めて。これは、「楽しい予告」かもしれません。 JIM-NETの5周年企画にご期待ください。 編集長:佐藤真紀 #
by jim-net-news
| 2008-03-02 14:42
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