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2009年 01月 28日
イラク戦争で難民になり、隣国ヨルダンで難民生活を送るハニーンは、11歳。卵巣がんを患っている。父は、難民なので、ヨルダンでの就労は禁止されている。ヨルダンの医療保険制度も難民には適用されないから、治療費が払えず、病院にもいけないまま、がんは進行していた。
支援者から彼女を救いたいとの申し入れがあった。「いくらかかるか知ってますか?」「個人支援をするのか?」「20%しか助からない」「イラク国内には支援を待っている子どもたちがたくさんいる。助かる確率の高い子どもを選ぶべきではないか?」「死んだらどうしよう」「でも出会ってしまったからには、この命を助けたい」葛藤が続く「100人いたら20人は助かるんだ。そこにかけてみよう」ということになり、治療費を負担することになった。 彼女がイラク人で、イラクで治療が出来たら私たちもなんら悩むことはなかった。出だしから苦しい選択だったのだ。 手術の跡が痛々しい。ユカリドクターに診察をしてもらう。 ![]() きっとよくなるから!約束して別れを告げる。 ハニーン派ヨルダンの中にあるパレスチナ難民キャンプに家を借りていた。そのほうが家賃は安い。 ハニーンは、絵を描くのが大好き。絵描きになりたいという。しかし、集中して描く事ができない。がんが大きくなって膀胱を圧迫し、一時間に何度もトイレに行く。弱りきった彼女にはトイレの扉も重たすぎて自分では開けられないのだ。 私は昨年の一月、加藤に連れられて、病院にお見舞いに行った。病院には支払われるはずの治療費が滞り、病院側は、身代わりに加藤のパスポートを取り上げてしまった。 「私は、日本に帰れなくなってしまいましたよ」と冗談を言っていたが、弱っていくハニーンを見るのはつらい仕事だ。 「募金キャンペーンに使う絵を描いてほしいな」とお願いすると、とってもうれしそうな顔をした。抗がん剤のせいか髪の毛は抜け落ち、鉛筆を握る手先の皮膚はぼろぼろになっていた。それでも、力強く線をつなげていく。「私、生きているわよ」と主張していた。出来上がった絵を見せて、「気に入った?」と微笑む。私たちは、大満足だった。アラビア語が堪能な加藤がうらやましい。ハニーンはすっかりこの日本の青年になついていたのだ。 一月22日、加藤が日本に電話をした。「ハニーンが亡くなりました」あの時彼女は、壮絶な痛みや苦しみに耐えていたのだった。それでも、絵を描くことで、役に立ちたいという気持ちが、あんなにすてきな微笑みを産んだのだ。 彼女が死んだとき、加藤は、しばらく、ふさぎこんでいた。そうなるのは最初からわかっていた。「あの時は、アラビア語なんか勉強するんじゃなかった。彼女や家族の苦しむ言葉なんか聴きたくなかったのです」といっていた。 加藤の仕事はイラクに薬を送り出さなくてはいけない。それをまっている子どもたちがたくさんいるからだ。僕たちは悲しいからと言って立ち止まってはいけないのだ。ハニーンがそんなこと許してくれないだろう。だから、今年の「限りなき義理の愛大作戦」のチョコレートのパッケージにはハニーンの書いてくれた絵を使った。 ![]() ![]() ハニーンのお墓にチョコキャンペーンの報告をする。 このキャンペーンがうまくいくように見守ってくれているのだ。
by jim-net-news
| 2009-01-28 04:52
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