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2009年 01月 30日
我々が医療支援を行なっている、イラクの2つの難民キャンプにも厳しい冬が訪れている。 シリア・イラク国境間に位置し1800人のパレスチナ人難民が生活するアル・ワリードキャンプは相変わらず厳しい状況が続いている。寒さが厳しくなったことに伴い、灯油などが不足するようなになったり、また病気にかかる難民が増えている。 ![]() アル・ワリードキャンプ内の様子 現在ここでは、敷設された水のパイプを付近の村のパイプに接続する工事が行われている。工事はキャンプが置かれているアンバール県が現在担っている。これが完成すれば付近の村同様に安定した水の供給が行われるということだ。(写真は昨年12月訪問時のもの) 生後7ヶ月になる男児ムスタファが血糖値の急劇な上昇がみられたため、キャンプ内に常駐する医師の元へ運ばれた。しかしキャンプでの治療が困難であると判断した医師はルトバにある病院(キャンプからは300キロ程離れている)に緊急搬送するよう指示。しかし残念ながら、このムスタファは搬送の途中でたった7ヶ月の短い生涯を終えた。 ヨルダン・イラク国境に位置するトリビル難民キャンプでも、搬送手続きが思うように進展しないために、治療を必要とする難民たちからの嘆きが多くこちらに届くようになっていた。 アブー・シャイマ 「娘が腹痛を訴えている、数日前から食事も取らない。以前検査入院した時に医師から1月後の再検査が必要と言われている。メディカルレポートだってちゃんとあるんだ。なのに、なぜヨルダンに入ることができないんだ。」 アクバル 「パスポートなんて持っていない。だから国境を越えることができないっていうのか?女性や子供の病人が治療を必要として苦しんでいるっていうのに・・・。我々はずっと搬送車両が来るのを待っている。でも何の知らせもないんだ。」 ![]() 通常ではトリビルキャンプ内での問題は3人の難民からなる自治会を通じて外部に届けられることになっている。しかしおよそ200人が生活するキャンプで難民のほとんどが何らかの問題を抱えており、その嘆きはふつふつと湧き上がり続けている。もはや自治会だけではなんとも統制することができなくなってしまっているようだ。そのため自治会からの電話ではなく、難民個人から「何とかしてくれ・・・」という連絡が頻繁にくるようになった。2009年に入った今も依然としてこのような困難な状況が続いている。 昨日なってようやく、以前から搬送が予定されていた難民の入国手続きが完了したという知らせが入ってきた。数日中には2人の難民がアンマンの赤新月病院に治療を受けにやってくる。今後は今述べたように治療のために搬送がどれだけスムーズに行われるかが重要な課題になってくるだろう。 最後に一つ、嬉しいニュースがある。水頭症のコマールがニュージーランドに移住することがほぼ決定したということだ。このコマールはこれまでに何度もアンマンに搬送され治療や手術を行ってきた。しかし、彼の父親は途中から必要な定期健診を受けるためにアンマンに来ることを拒否するようになってしまっていたのである。我々が何度もコマールのために健診を受けるよう説得を試みたが頑として聞き入れなかった。その理由として父親が主張し続けたのは以下のようなものだ。一つは難民キャンプからアンマンまで毎月通い続けるのは負担が大きいため。もう一つはアンマンで水頭症という難病を治療することは不可能であるため。しかし周囲では搬送を拒否する理由をむしろ第三国に受け入れてもらうための息子の命を賭したパフォーマンスであると看做す向きもあり、そういった父親の態度は批判され続けた。 ![]() コマール 手術の後が痛々しく残っている(写真は昨年8月のもの) 「娘のための車はいつやってくるんだろう・・・」、「年老いた母はいつになったら搬送してもらえるのか・・・」と遠くからやってくる搬送車両を心待ちにしている難民もいれば、上記のコマールの父親のようにやってきた搬送車両を怒りと共に追い返してしまう難民もいる。しかしそのどちらもこの苦境から抜け出し、家族の命を救うという目的において一致している。難民達がキャンプの状況を説明するときに度々「遅々とした死」という表現を用いる。そのような極限状態にある彼らの心情を察しようとすれば、絶望的な状況から抜け出すために、第三国への受け入れがうまく行くように、各方面に嘆願を出し、圧力をかけ、さらには危険であるとみなされるような行動に出たとしても、それを禁じえないような気がするのである。
by jim-net-news
| 2009-01-30 09:16
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