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2009年 03月 26日
3月23日JIM-NETの調査団がハラブジャにある化学兵器犠牲者記念館を表敬訪問した。
2003年のイラク戦争の開戦理由のひとつに、「イラクは自国民に化学兵器を使用したことがあり、再び化学兵器を使用する可能性がある」ことがあげられていた。 当時の日本の外務省のHPにも、イラクを攻撃する理由として明記されていた項目だ。 ハラブジャは、1988年3月16日に化学兵器で攻撃され5000人が亡くなったという。 ハラブジャ被害者協会のヘムマットさんは、「戦争はよくないと思う、しかし、サダム・フセインは倒さなければいけなかった」という。大方のクルド人は、この戦争を「必要だった」と思っているという。 ハラブジャの保健局長の、アコさんは、「当時の被害者が400人おり、がん等で苦しんでいるが、がんがその後増えているわけではない、先天障害で生まれてくる子供がハラブジャで特に多いとはいえない」という。2世、3世への影響はないようだ。 博物館を視察した佐藤事務局長は、「ハラブジャの人たちが、惨事を忘れまいと作った記念館は、うまくできている。街中にもいくつかモニュメントがあった。悲惨な戦争が、また2003年の悲惨な戦争を生んでいる。劣化ウラン弾やクラスター爆弾、白燐弾で多くの人が犠牲になった。そのことを、私たちはしっかりと伝えていかなければならない。」同行したイラク人のイブラヒムさんは 「私は、初めてたずねました。とても悲しい。私は当時ラジオ(BBCなど)で聞きました。クウェートのTVを見てびっくりしました。フランス人の記者が取材していましたね。イランがやったという話もあります。しかし、イラクの中では、なかなか話題にできなかった。私は、広島、ナガサキをたずねたときを思い出しましたね。」 調査団はその後、町を案内してもらった。 当時の建物も一部は残っている。 加藤職員は、「この町にいると不思議な感覚になります。」と感慨にふけっていた。 JIM-NETニュース ハラブジャ
by jim-net-news
| 2009-03-26 04:10
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