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2015年 12月 11日
KRG(イラク国クルド自治政府)では、シリア人の就労が禁止されているわけでない。難民がたくさん入りこみ、新たなビジネスがそこに生まれている。
シリアの北端のクルド人が多く住むカミシリやハッサケは、外国人はほとんど訪れることがないような田舎の地方都市。いっぽうイラクのクルド自治区は、イラク戦争の影響をほとんど受けず、首都バグダッドは退避勧告が出され外国人もなかなか入れないこともあり、投資が盛んだ。5つ星のホテルやモールがここ10年でたくさん建った。 ![]() 当初シリア難民は、命の危険といいうよりは、内戦で物流が途絶え、仕事もないので、半ば出稼ぎのような形で、アルビルなどに働きにやってきた。 たとえば、女子。アルビルのクルド人の女子たちは、客商売を嫌う。イスラム教徒というのもあるし、もともとダマスカスや、バグダッドとは異なり地方都市としての閉鎖的な風習なのだろう。モールなどのフードコートや、カフェなどは、シリアの女子たちの格好の稼ぎ場所となった。アルバイトとしてはシリアで働くよりも格段と高い給料をもらえた。難民の子どもたちは、信号待ちの車をめがけてガムや、おもちゃを売りに来る。 一方難民の親父たちは、建築現場の仕事などや、屋台を引いて生計を支えている。 ![]() しかし、ISが攻めてくるとまるでクルド自治区も戦場になっているような報道に投資が滞り始めた。ビルの工事も止まってしまったところも多い。建築途中の建物には難民が住み着いている。また、石油の値段も下がっていること、イスラム国との戦いで戦費がかさみ、イラク政府にはお金がなく、公務員の給料もここ数カ月は支払われていない。難民だけではなく、受け入れる側の社会も疲弊し始めている。 ![]() ![]()
by jim-net-news
| 2015-12-11 09:11
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