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2016年 01月 29日
2006年2月、サマッラーにあるアスカリモスクが爆破された。
サマッラーは、スンナ派が多く住むが、このアスカリモスクだけは、シーア派にとっての聖地である。西暦836年から892年までの約50年間、アッバース朝の首都がバグダッドからサマッラーに移されたことがあった。その当時の町並みは世界遺産になっている。 シーア派のモスクが爆破されたのだから犯人はスンナ派の過激派だということになる。 しかし、一方で当時から、「黒幕は、イラクを混乱させ、米軍の駐留を長引かせたいアメリカ」「虎視眈々とイラクの派遣を狙うイラン」との陰謀説もささやかれた。 ともかく、このモスクが爆破されたことで、イラクの治安は一気に悪化してしまい、「宗派対立などイラクにはない。イラクは一つだ」という市民の声もかき消されていった。 実際、世俗的なバース党政権では、スンナ派とシーア派の結婚も一般的であったが、イラク戦争後は、宗派を理由に離婚する夫婦も増えた。サッマッラーは、熱い戦闘地区になっていった。 アザミの絵を描いたドゥアは、2001にサマッラーで生まれている。2年後にイラク戦争が起きる。 物心ついてからは、戦火が途絶えることがない。 2007年に作られた映画「リダクテッド 真実の価値」ブライアン・デ・パルマ監督作品は、サマッラーが舞台になっている。(ただし実際のロケは、ヨルダンだと思われる) 物語は、2006年3月に実際に起きた事件をベースにしている。14歳の女の子、アビルが、米陸軍兵5人から性的暴行を受け、一家4人が殺害された。 似たような映画はほかにもあり、当時の私は、片っ端からそういったものをDVDを買ったり借りたりしてみていた。家族からは、「やめてほしい」といわれた。 もう本当にアメリカ軍の蛮行には、うんざりしてしまったので、デ・パルマの映画はちゃんと見たかどうか記憶が定かではなかったので、改めて借りて見てみた。 アメリカが占領化で行ってきたこと。恥辱を受けた民は、復讐を誓うだろう。戦争を始めた側は、都合よく、「テロ」という名前で片付ける。 「イスラム国」が2014年にいきなり湧いてきて、アンバールを支配してしまったかのように言われるが、辱めを受けた民が頼りにしたものは、アルカーエダであり、イスラム国の前身に他ならなかった。 当時のニュース「米兵によるレイプ・家族殺害事件で目撃者が証言」 Eyewitness testimony about US rape, murder of Iraqi family http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2006_testimony_about_US_rape.html イラク・レジスタンス・レポート 2006年7月1日 イスラム・メモは1日夜11時55分の速報で、米軍が強制捜査している3月のレイプ殺人事件に関する通信員の徹底追及レポートを発表した。 米占領軍兵士によるイラク人女性レイプ件数は既におびただしい数となって増えつづけている。多くの女性がアブグレイブその他の監獄で犠牲になった。他の多くの者も広大な監獄すなわち占領下のイラクをうろつく米軍の軍服を着たレイプ魔の餌食(えじき)になってきた。 しかし、レイプ事件の1つが最近になって表面化し、はずみなどではない残忍な蛮行をきわ立たせている。 2006年3月のある昼下がり、アメリカ兵10~15人の部隊がカシム・ハムザ・ラシード・アル・ジャナビ(1970年生、国営ジャガイモ倉庫の警備員)の家を襲撃した。アル・ジャナビは妻ファフリヤ・タハ・ムフシンと4人の子どもアビル(1991年生)、ハディル(1999年生)、ムハンマド(1998年生)、アハマド(1996年生)と一緒に住んでいた。 アメリカ兵はカシムとその妻、そして娘ハディルをその家の1つの部屋に連れ去った。アメリカ兵が来たのは午後2時頃で、息子のアハマドとムハンマドはそのとき学校にいた。アメリカ兵はカシムと妻と娘を部屋のなかで射殺した。カシムの頭には4発の銃弾が、ファフリヤの腹と下腹部には5発の銃弾が撃ち込まれていた。ハディルは頭と肩を撃たれた。 そのあと、アメリカ兵はアビルを隣の部屋に連れて行き、そして部屋の隅で彼女を追いつめた。そこで彼らはアビルを裸にし、10人のアメリカ兵が順番に彼女をレイプした。彼らはそのあとでアビルの頭を鋭利な物で殴りつけて(法医学の解剖所見による)気絶させ、そしてクッションを押しつけて窒息死させた。その後、彼らはアビルの遺体に火をつけた。 殉教した(殺された)一家の隣人はイスラム・メモの通信員に次のように語った。 「午後2時、アメリカ兵が殉教したカシムの家を襲撃した。彼らはカシムをとり囲み、銃声が聞こえた。銃撃はやがて収まった。1時間後、部屋から煙が出ているのが見え、そのあと占領軍の兵士が家からあわてて出てきた。彼らはシーア派のイラク国家警護隊と一緒に一帯を包囲し、そして近所の住民に、アルカイダのテロリストがこの家に入り家人を皆殺しにした、と説明した。彼らは私たちを家に入らせなかった。だが私が国家警護隊の兵士に、その家族の隣人だから(中に入って)彼らを見届けたい、そうすればアル・ハジ・アブ・アル・カシムに息子と息子家族のことを知らせることができると提案したところ、兵士の1人が私を入らせることに同意した。」 「それで家に入ってみると、最初の部屋でカシムと妻とハディルを発見した。彼らの死体は血まみれだった。血は身体から勢いよく噴出して、ドアの下から部屋の外まで流れ出てきていた。彼らを起こしてみたが反応はなく、すでに息絶えていた。」 その隣人はさらに報告を続けた--「ついで私はアビルの部屋に入った。炎が彼女を包んでいた。彼女の頭と胸が燃えていた。彼女は哀れな姿勢で横たわっていた。彼らは白いガウンを首までめくりあげ、ブラを引きちぎっていた。15分前には既に死んでおり、部屋の中は激しく燃えていたにもかかわらず、血が両足の間から流れ出ていた。彼女は死んでいた--神よ、彼女の魂を安んじたまえ。一目見て彼女だとわかった。彼女は顔を横向け、両手両足を縛られているのに、下半身が持ちあげられていたので、レイプされたのだとわかった。私は自分自身をコントロールできず、彼女のために涙があふれてきたが、しかし、すぐに彼女の頭と胸で燃えている火を消した。胸と頭髪、そして顔の肉が焼けていた。服で彼女をおおってやった。そのとき私は、話したり脅したりしたら、アメリカ兵が私を連行するだろうと気づき、そこでこの悲劇的な話の目撃者となれるように、自制して静かに家から出ることに決めた。」 3時間後、アメリカ兵が家をとり囲んで、その地域の人々に、この一家はシーア派だったので、テロリストによって殺されてしまったと語った。町の者は誰もその話を信用しなかった。なぜなら、アビルの父親は町で最も善良で高潔な人物の1人であり、シーア派でなくスンニ派だと知られていたからだ。誰もがアメリカ兵の話を疑ったので、日没時の礼拝のあと、占領軍兵士が4人の遺体をアメリカ軍基地に持ち去った。そして次の日になって、彼らは遺体をマフムディヤ病院に引き渡し、病院管理者にテロリストが一家を殺したと告げた。その朝、私は被害者の親類と一緒に病院に行った。私たちは遺体を受けとって埋葬した、神よ、彼らに慈悲をたまわりますように。」 隣人はさらに続けた--「そのあと、私たちは黙っていてはいけないと決心し、すみやかに復讐するようムジャヒディン(聖戦士)に要請した。ムジャヒディンは占領軍に対して2日間で30回の攻撃をしかけ、40人以上のアメリカ兵を倒した。だが私たちの血はまだ収まらず、それで意を決して、イラクの放送局だということで、アル・アラビヤTVに出かけて話をした。だがアル・アラビヤは私たちの話を意に介さず、私たちをウソつきだと決めつけた。アル・アラビヤは、自分たちの方針はアメリカ軍から出される公式発表に依拠しており、なんの権限もない話には踏み込めない、と述べた。これはアル・アラビヤの特派員アハマド・アッ・サリフが語ったことだ。それで私たちは地元の新聞社に行ったが、彼らは私たちがスンニ派でレイプの犠牲者がスンニ派の少女だからという理由で門前払いにした。だがレジスタンス戦士は私たちに、神はモスリムの血が流されることを許さないと言い、忍耐してがんばればアビルトとその家族を殺し姉妹の名誉が汚した者に罰が下されるだろうと言ってくれた。」 「アビルの母親が今年3月9日に私のもとにやってきて、夜は娘を泊めてやってくれと頼んだが、私個人は驚かなかった。彼女が牛にエサをやりに出かけるとアメリカ兵が彼女を見つめていたので、彼女は恐がっていたのだった。占領軍の指揮所がカシムの家から15メートルのところにあったので、私は母親の申し出を受け入れた。しかし率直にいって、彼女はまだ16歳のかわいい少女だったので、彼女の身の上に何か起こることはないだろうと思ったが、夜は彼女を泊めて、朝になって自宅に帰すことに同意した。占領軍の兵士が真昼間からこんな犯罪をやらかすとは、私たちは考えてもみなかった。」 隣人は最後に次のように話した--「アメリカ兵が6月30日(イスラム・メモの通信員が犯罪現場に行った前日)にやって来て、地域の人々にアビルの遺体を掘り起こして確かめほしいと頼んだ。そして私に目撃者として証言してほしいとも言ったが、私は正義のためならどこへでも出かけるつもりだ。」
by jim-net-news
| 2016-01-29 22:08
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