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2008年 03月 25日
今回のキャンペーンのポスターを描いてくれたバグダードの少女、スハッド。
私は、3月11日、薬を持って、イラク国内に入った。 バグダッドからは、イラク人のスタッフが薬を取りに、難民キャンプまで来てくれることになっている。 私は、ヨルダンを出発する前にあわてて、事務所に張っておいたポスターをはがして丸めた。 スハッドにはあえなくても、バグダッドの使者が彼女にとどけてくれるかもしれない。 5年前の4月16日,バグダッド入したとき、アル・ファナールホテルには、まだ、あのポスターが張ってあった。それは、イラク攻撃がないようにと祈をこめて、とうじのJVCの中間たちが、バグダッドに戦前張ったポスターだった。 攻撃も略奪もなく、そのポスターは、ロビーに張ったままだった。 私は、そのポスターを大切にまるめて持ち帰った。 そして、スハッドを見つけてわたしたのだった。 スハッドたちは、父が学校の守衛だったから、学校に住み込んでいた。校庭には防空壕がほってありその中で空襲警報を聞き、銃声を聞いた。 学校に陣取っていたイラク兵は、気がつくといなくなっていた。そして町の主はアメリカ人になっていたのだ。 それから5年、家族は生き延びていた。 バグダッドからの使者は、手紙を持って来てくれた。 傷ついたイラクから日本のこどもたちへ 最上の挨拶で手紙を書きます。みんなのことが恋しいし、みんなのことをもっと聞きたいです。 お元気ですか? あの楽しかった日々がまた私のところに帰ってくればと思うけど、今のイラクの現状はそれを許しません。もし私に翼があり、たくさんの国を超えて私の兄弟である日本のみんなに会えたらどんなにすばらしいでしょうか? 私の家族や友人からの思いもこめて、皆さんに平安がありますように。 残念なことに、世界中の紙を集めても私の気持ちを書ききることは出来ないでしょう。 スハード・サェッド 5年たった今でも日本を友人として愛してくれている子どもたちがバグダッドでまっている。 数日後、イラク人スタッフがバグダッドでポスターをスハッドちゃんに届けてくれた。そして写真が添付してあった。生きている。大きくなっている。 ![]() 5年前のスハッドの動画 ここに登場するのは2003年のスハッドちゃん このこたちが生きていることがどれほどすばらしいか胸を打ちます。 http://jp.youtube.com/watch?v=mokOWGBbv74 これはスハッドのお姉さんに焦点を当てた番組。この頃は結構TVも気合はいっています。 http://jp.youtube.com/watch?v=2L1-o9OFWTgさとうまき
by jim-net-news
| 2008-03-25 02:04
| 一般生活
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