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2008年 04月 24日
これまでに何度もバスラのハヤーニーヤ地区の名前がこのブログに登場している。もっとも激しい衝突が起こったところである。病院にはこの地区からも多くの患者が訪れており、がんの治療中の子ども数名もここから病院に通っている。アリー・ハサン・ムハンマド(9歳)もその1人だ。
イブラヒム先生は今日も支援物資を病院に運び、院内の子ども部屋で食料配給に精を出す。今日は52人の家族が病院を訪れ、支援物資を持ち帰っていった。そこにアリーが母親と一緒にやってきた。彼は白血病に侵されており通院していたが今回の衝突でほぼ一ヶ月の間治療が中断してしまったのである。 イブラヒム先生「アリーは危険な状態が続くハヤーニーヤ地区に住んでいます。朝の比較的落ち着いた時を見計らってなんとか病院に来ることができましたが、あの地区で再び衝突が起こったために家に帰れなくなってしまいました。父親も家から出られない状態です。今晩アリーと母親は病院で夜を明かさねばならないのです。」 やっと、病院に来ることができた、しかし家に帰ることができない。こういった状態の中でバスラの子ども達は治療を続けている。病院のあるジャザーイル地区は比較的静けさが戻ってきたが、夜になれば突発的に銃声が響く。アリーと母親は父親から離れ、暗い病院の中で恐怖に耐えながら朝が来るのをじっと待たねばならないのだ。またバスラ以外の遠くから通ってきている患者さん達も、病院で夜を過ごすことが少なくない。親戚が近くにいれば良いのだが、そうでない家族は夜が明けるのを待ってから帰宅する。運転が夜にさしかかると危険なのだ。現在は交通規制が敷かれているため、なおさら日帰りするのが困難になっている。患者の負担が増えるばかりだ。 ![]() (病院の様子。病気の子どもを持つ母親達は、食事をもちよったりして助け合う。写真は紛争が始まる前。今も様子は変わらない。アリー母子は無事に夜をすごせただろうか?) 病院のジナン先生は 「もちろん患者さんの家族が食料を持ち帰るのは良いことですが、患者さん以外にも多くのバスラ市民が食料を買えずに喘いでいます。より多くの人に配給が行渡るようにするのが望ましいですね。」 と語った。 イブラヒム先生は、モスクなど地域のコミュニティを利用して、更なる食料配給が行えないかアイデアをまとめながらも明日も危険を覚悟でバスラ中を駆け回る。
by jim-net-news
| 2008-04-24 05:18
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