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2008年 11月 17日
これまでも、JIM-NETが関わる難民キャンプについて書いてきたが、新聞にキャンプの様子を詳細に記した記事があったのでご紹介したい。タネフキャンプはシリアとイラクの国境にありパレスチナ人がここで生活している。我々が現在、支援を行なっているアル・ワリードキャンプからほんのすぐ側に位置する。アル・ワリードキャンプに行く際、必ずここを通るためどんな様子だろうかと気になっていた。
784人の難民が劣悪な環境の中で生活・・・シリア、イラク国境 タネフ難民キャンプ アラブへの移住という願いは蜃気楼へと消え行く 難民達「避難生活が続いても祖国を忘れることはできない。そこへ帰る権利もわすれてはいない。」 イラク戦争後、アメリカ軍や武装勢力の被害に遭った、イラク国内のパレスチナ人。犠牲者は600人以上、逮捕、行方不明者160人以上。彼らが選択できる避難先はシリア・イラク国境の難民キャンプ以外にはない。 かれこれ2年半、このタネフ難民キャンプ(シリアの首都ダマスカスから260k離れている)での生活が続いている。しかし彼らの「他のアラブ諸国への移住」という願いは蜃気楼のように消え去った。現在、この苦境をはやく終わらせようとヨーロッパやラテン諸国がUNHCRとの協力のもと努力を行なっている。 難民達の言葉を借りれば、「アラブ諸国による、難民の無視」により、彼らの頼み綱はヨーロッパやラテンアメリカなどへ集中している。たとえばチリ(これまでに116人のパレスチナ人難民を受け入れ)、スイスは(161人)、そしてキプロスに至っては1200人以上のイラク国内のパレスチナ人難民を受け入れている。またインドへも250人が避難先として移住している。他にもおおくの難民がヨーロッパへの移住を希望しており、その筆頭に上げられるのはスウェーデンである。 これまでに、3万人のイラク国内のパレスチナ人が凡そ50カ国へ難民として移住した。しかし依然として3分の1のパレスチナ人が、イラクに残っており、既に移住した親族を追うことを希望、もしくはイラク国内の治安が安定するのを待ち望んでいる。 タネフキャンプの近辺にはアル・ワリード難民キャンプ(イラク国境内側1800人の難民が生活)があり、また北部にはもっとも最近設立されたアル・フール難民キャンプがある(シリアのハッサケ近郊340人が生活、ここでは他の2つのキャンプよりもその状態はより良いとされているが、80人が腐った肉を食べ、食中毒にかかるということも過去に起こっている)。 パレスチナ人への脅迫 このタネフキャンプで2年半過ごしているアブー・ファーディーはこの生活で2度、心臓に血栓を患った。そのため、ダマスカスにあるパレスチナ病院で2度の手術を行なっている。 「残念なことですが、我々はアラブの間では嫌われる存在となってしまったようです。しかしそれとは逆に外国(非アラブ諸国)が受け入れ先として門戸を開いています。」 彼はこれまで4つのキャンプでのその人生を過ごしてきた。このタネフが最後のキャンプ生活になえwばよいと望んでいる。彼はこれまでに、イラク警察に逮捕され、さらに「イラクから出て行け、さもなければ殺す」と書かれた脅迫状を受け取っている。それもこれも彼がパレスチナ人であるという理由からだ。かつてバグダードのとあるモスクで門番として働いていたが、子供達が危険に晒されることを思い、モスクへ行くことを躊躇していたという。もし彼らがその脅迫に屈せず、バグダードに留まっていたとしたら・・・。 フセイン・サーディク・マフムードはイラクで2人の息子ムハンマドとウマルを失った。1人は何者かによって絞殺され、もう1人は何者かによる銃弾によって命を失った。5人の息子と2人の娘の父親である彼はその当時をこう語る。 「出て行けと書かれた脅迫状を受け取った後、何者かが我々の住居を占領しました、そして息子のウマルに向かって銃弾を放ったのです。その後、彼らは我々がこの場所に住居を構えること、そしてこの場所に帰ってくるなと脅したのです。私が正当にこの家を所有する権利を持っていたにも関わらずです。」 彼はどれだけ時間が経とうとも、そこに帰る権利を放棄するつもりはないという。彼は事件の後、偽造されたイラク人パスポートでシリアに移り、その後イラクに帰った後、再び避難し現在に至る。彼の希望はこうだ。 「インド、キプロス、イギリス、ベルギー、ノルウェー、オーストラリア、ニュージーランド、スイスとへとバラバラになってしまった家族みんなを受け入れてくれる国が手を差し伸べてくれれば・・・。」 パレスチナ人を対象とした暗殺行為 サミール・ジャバアーンはこれまでに5人のメンバーからなる武装集団によって暗殺の危険さに晒された。彼に向かって6発の銃弾を放ち、1つは彼の左手に残り、他の弾は彼の胴体に残っている。彼がパレスチナ人であるという身分が明らかにされた後のことだ。 「意識を取り戻した後、若者が救急車でパレスチナ赤新月病院に運んでくれようとしましたが、その武装集団は私にまだ息があると知り、とどめを刺すために追いかけてきました。しかし、なんとか生き延びることができました。」 その後も武装勢力側からの脅迫は止むことはなく、彼らが去らねば殺すということをさらに強調する一方であった。そのため彼と娘はシリアに移り、1年半そこで過ごした後、現在のタネフキャンプに逃れてきたのである。 彼によれば、これまでに彼の親戚3人が暗殺されている。また彼の兄弟で難民の権利を守るために弁護士として働いていたサイード・ジャアファリーにも暗殺の手が延びた。 キャンプの運営委員会責任者である、アブー・ユースフはキャンプの様子をこのように語る。 「ここには、普通の家族は存在しません。家族の誰かが殺害されたか、もしくは捕虜、行方不明、拷問を受けた、そのような家族ばかりなのです。」 また 「ここにはそのような仕打ちを受けたために精神病にかかる者が少なくありません。そのため医師が訪れこのような精神疾患を治療することも行なっています。」 イラクのパレスチナ人にとって、外出するということは命がけのことなのである、もし、彼らの身分がふとしたことであきらかになれば、殺しの脅迫を受けることになるのである。 また「テントからテントへの生活はまだ続くでしょう。今後、新たに125人の難民をここで受け入れる予定です。彼らも同様にパレスチナ人という身分があきらかになったせいで家族のだれかを失った者達です。既にここの生活で2年半が経過し、我々はアラブ諸国やイスラーム諸国が我々を受け入れてくれるという望みを失いました。現在、我々はUNHCRに対し、アラブ諸国と難民受け入れの交渉を止めるように主張しています。その代わり、受け入れをしてくれそうな他の非アラブ諸国に対し集中して交渉するようにと。」 病気の蔓延 キャンプ内で病気が蔓延していることを受け、赤新月社がUNHCRと協力し医師をキャンプ内に派遣することができた。ここでは、血圧、糖尿などの患者に加え、水が悪いために下痢にかかる患者も多い。 また週一回女性の医師もキャンプを訪れている。というのもキャンプ内で出産が行なわれるからだ。この2年半の間に20例の出産がみられた。 またキャンプを訪れるものはここの教育に対する関心の高さに注意を挽かれるだろう。イラクパレスチナ人支援委員会とUNHCRの協力のもと、キャンプ内に学校を建設、183人の生徒が1年生から最上級の9年生にまで分けられ教育を受けている。しかしこの学校校長アリー・ムハンマドはこう語る。 「しかしながら、45人の生徒が9年生で学業が中断してしまっています。UNRWAがダマスカスに学校を設けていますが、10人しか受け入れてもらえませんでした。残りの学生もそこに参加させてもらうよう望んでいます。」 加えて、キャンプには50人の高校過程に相当する学生がおり、25人が大学教育課程に相当する学生が存在し、5人が修士の称号を持っている。中でも、ウィサーム・ハーッジィはアラビア語学でシリアのアレッポ大学に博士号取得を申請中である。彼が成功すれば、キャンプ初の博士誕生ということになるだろう。 キャンプでの生活における困難を乗り越えて彼らは生きている。これまでに25回結婚式が行なわれ、20人の子供がキャンプで生まれた。2人の子供が幹線道路で交通事故に遭いニュースでも報道された。また搬送が遅れためにがん治療中になくなったものもいる。パレスチナ人達はテントからテントへと続く苦境をいまだに負わされ続けている、しかし彼らの心はかつて祖国パレスチナに生きた、父祖達と強く結びついているのである。 AD-DUSTOUR紙 5NOVEMBER 2008 イラク問題は非常に多岐にわたり複雑なものである。先日もお伝えしたが、イラク戦争による難民はイラク人だけではない。イラク戦争以前から難民であったパレスチナ人やクルド系イラン人が大きな被害を被り、また最近ではキリスト教徒が迫害を受け、故郷のモスルを追われ避難した。シリア、ヨルダン、エジプトには400万人とも言われるイラク人難民が存在し、国内にも安全な土地を求めて彷徨う国内避難民がいる。そして今回のパレスチナ人のようにイラクにも戻れず、受け入れ先も見つからず国境の間でしか避難先を見つけられないものもいる。 アル・ワリードキャンプ出会ったとあるパレスチナ人のおばあさんが自らの苦境を語った後、大声で涙し 「パレスチナを追われて、そしてイラクも追われてしまった。私達パレスチナ人は同じアラブ人から嫌われているんだわ!」と叫んだのが頭に焼き付いている。 我々が支援するアル・ワリードキャンプと状況はほぼ同じだろうと察する。現在このキャンプでは、最低限の検査を行なえるようラボ設立中であり、ほぼ完成にある。 ![]() ![]() これが機能し始めれば、患者は遠い場所にある病院まで行く必要がなくなり、大きく負担が軽減されるはずである。 t
by jim-net-news
| 2008-11-17 12:07
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