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2016年 12月 04日
今回のチョコ、黒はタハニ。私が初めてイマッドさんに彼女の家につれていってもらったのは2015年の4月でその時彼女は16歳だった。
ヨルダンのシリア国境近くのアパート。中は薄暗い。 2012年の6月アルハラ(ダラアの北?)の自宅でいきなり、アサド軍の民兵とヒズボッラーの兵士らが入ってきた。家の周りは戦車も出ていて、総勢25名ほどの兵士がおそってきたのだ。お父さんを捕まえて、連行しようとしたので、当時13歳のタハニちゃんは果敢にも「お父さんを連れて行かないで!」と兵士の間にはいった。兵士は銃底で彼女の両手を振りほどいた。両腕は折れてしまい、お腹にも一発いれた。父は刑務所に入れられた。4か所の刑務所を転々として、4か月が費やしたが、裁判所は、無罪を言い渡し、無事に釈放された。ところが、家に戻ってくると、娘の骨折した腕は骨がくっつかず、殴られたお腹の痛みを訴え続けた。検査したら腫瘍ができていたので、ヨルダンに逃げてきて手術をおこなった。 3か月前は、折れた腕の手術を受けている。おなかの方は、さらに、まず専門病院でのガンの検査が必要だという。 最初は、にこにことカメラに向かって微笑んでいた彼女も、お腹の痛みに耐えられなくなったのか次第に顔をしかめ、泣き出してしまった。 彼女には25歳の姉がいる。オリーブ農家に嫁ぎ2人の男の子と女の子がいた。夫が農作業をやっていたら、爆弾が飛んできて死んでしまった。その時、姉は妊娠9か月だったが、ショックで産気づいて、赤ちゃんを出産したが、7日後にしんでしまったという。亡き夫の家族とシリアに残っている。ほかにも結婚した姉は、アズラックに出来た新しいキャンプにいるという。 それで、僕たちは、イマッドさんに頼んで、タハニをキングフセインがんセンターで検査させた。 結果は、「希望なし」。入院はできず、自宅で、痛み止めを処方されるだけだった。何度かヨルダンに行ったときに彼女の様子を見に行った。いつも明るくふるまっていたけど、腫瘍は大きくなり、下腹部から太ももにかけて大きくなっている。それを切り取るのはかなり大変だ。 実をいうと、今回は、ヨーロッパでチョコのデザインを終わらすことになっていたのだが、やっぱり、フランクフルトからアンマンに戻ってきてタハニのことは、無視できなかった。家族は、タハニがイギリスに行くことができたら、がんが治ると思っていた。しかし、現実は厳しい。ヨーロッパも予想外の難民の数に受け入れの限界を超え、イギリスは、何とEUを脱退すると言い出したのだ。移民や難民の労働者を快く思っていない人たちが結構いるということだ。 しかし、その後9月には、タハニはイギリスの大使館での面接を受け、移住が決まったというのだ。9月20日には本当にタハニはイギリスに移住したのである。 しかし、イギリスの医者はタハニに足の切断を進めているという。一家は途方に暮れているという。 ![]() ![]() ![]() #
by jim-net-news
| 2016-12-04 03:23
| 物語のあるチョコ ヨーロッパ編
2016年 11月 27日
2015年は、怒涛のように難民たちがヨーロッパに移動した。
たとえばドイツには一年間で100万人を超える難民がたどり着き、多くはシリアからだった。 そして、「シリア難民」という言葉が流行語のように定着したかに思える。 しかし、所詮流行語は、一年もたてば忘れ去られてしまう。今から10年前、「イラク難民」という言葉も流行語になった。ちょうど宗派対立が激化し、シリアにイラク難民は150万人、そしてヨルダンにも80万人ほどのイラク人が難民として逃れた。しかし、難民キャンプなどは一切作られず、UNからの支援をもらいながらも、自活をしていた。ヨルダンはある時期から、イラク難民の追い出しにかかり、それでも、資産家のイラク人たちは歓迎し、貧乏人は追い出してしまった。多くのイラク人はシリアに流れた。しかし、シリアが150万人もの難民を受け入れることができただろうか?アメリカからは、テロリスト支援国家の烙印を押され、また、旧態依然とした独裁体制は、外国のNGO などが入ってくるのを極端に嫌がった。これには一理ある。外国のNGOなどがこようものなら、高額で人材を政府から引っこ抜いていく。やつらと来たら公務員の2倍から10倍は給料を払うだろう。シリアが抱えることになった150万人のイラク難民、その後のシリアの不安定化の要因にはならなかったのだろうか。 国際社会は、イラク難民を第三国定住させる取り組みを始めた。 命の危険にさらされた難民たちはというと、主に、多国籍軍の通訳をさせられたり、米軍基地で食堂や清掃をしたり、そんな連中に、脅迫状が送られた。イラク戦争を支持した国には特に責任があったので、数万人のイラク人は、アメリカやヨーロッパに第三国定住していった。 ただし、日本は、たとえ、日本のメディアの通訳をしたために、脅迫状が送られても、難民性はないと判断し申請を平気で却下してしまった例が一件だけあった。その人は、私の知人だった。 日本は、受け入れない国だとわかっているから、他の人たちは、日本へ行くことを希望もしなかった。 シリア人は、その当時、第三国定住させてくれそうな大使館に並んでいるイラク難民をうらやましく思っただろう。特に若い世代には、ちんきなシリアに別れを告げてヨーロッパで成功したいという願望は強かったと思う。 アップルを作ったのはシリア移民なのに、自分たちの国にはI-phone は、ない。インターネットですら制限されている有様だ。kulna Sawaというシリアのバンドは、ちょうどそのころ Every day I say という曲を書いている。 https://www.youtube.com/watch?v=02aU2TkeEd4 10年前にシリアからロンドンに移住した家族がいた。 しかし、実は彼らは、自分たちがイラク人であると偽りイギリスに渡航したのである。詳しい話は教えてもらえなかったが、イラクのパスポートなど簡単に偽造品を買うことができたのだ。 イギリスは、自分らがイラクにしてしまったことに責任を感じ、行ってみればあるシリア人の家族のそういう詐欺にまんまと引っかかってしまったのだ。最近になって、偽装がばれてしまったが、シリアに送り返すわけにはいかず、改めて難民として認められたそうだ。 今は、「イラク難民」という言葉はなかったかのように忘れ去られてしまった。 しかし、問題は解決しない。シリアにいた多くのイラク人は、まだイラクの方がましだとイラクに戻ってきたが、シリアの内戦は、イラクにも波及し、ISは両国にまたがって支配を続けている。 今度は、面白いことに、シリア難民に紛れ込んで、ヨーロッパに渡ったイラク人たちもいるのだ。 そういうヨーロッパへの移住の波も一年経ち、落ち着いたかに見える。 そして、日本人はすっかり、難民たちが狂ったようにヨーロッパにむかったことも忘れ去ろうとしている。 今回のチョコ募金のテーマは、EUに行った難民たちを訪ねながら、イラクの平和を考えようという企画なのだ。絶対に彼らがヨーロッパを目指さなければならなかった理由を忘れてはいけない。そして、イラクに残っている人たちを僕らがどうするのか。ヨーロッパが解決であろうはずがない。そして日本が難民を受け入れるなんてなおさら解決にもならない。一体何人の人たちが家を失って、テントやストリートで暮らしているのか。それはすべて私たちが、国益のためだと信じて、アメリカについていった責任なのだ。 というのが、私の個人的な考え。 #
by jim-net-news
| 2016-11-27 01:00
2016年 10月 30日
![]() 2016年9月23日、アブドルアジーズ君の家を訪問。 アブドルアジーズは、マクムールというアルビルから南に50Kmくらい離れたところに住んでいます。 アブドルアジーズ君はJIM-NETの支援でインドで検査を受けています。 #
by jim-net-news
| 2016-10-30 03:27
| 癌・白血病
2016年 10月 20日
![]() ![]() 一家は、アレッポの中心部で暮らしていましたが2012年に空爆などが激しくなったのでトルコ側に避難しようとしましたが、ノーマンズランドに留められたそうで、6週間ほど滞在した後、イラクへの移動を決意したそうです。山の中を6日間歩いて、イラク北部のソーランという町にたどり着きました。 お父さんは、ペンキ塗りの仕事をしていましたが最近は仕事がなくなってしまったとのこと。 フセイン君は4年前に、イラクに来た時に学校に行ってみましたがあんまりなじめず行かなくなたとのこと。 毎日自転車で、家の周りをサイクリングするのが楽しみとのことです。弟たちは、学校に行っています。 現在、アレッポは、ロシア軍とシリア軍の空爆が激しい一方で、政府がコントロールしている地域は比較的安定しているようで、 CNNは以下のような記事を書いています。 激戦地アレッポ、政権が観光ビデオ 「繁栄」アピール http://www.cnn.co.jp/world/35089884.html 観光ビデオがなかなか探せず。もしかするとCNNは、以下の映像のことを言っているのでしょうか?https://www.facebook.com/www.syriatourism.org/videos/640485456112109/ シリア内戦の情報を集めている「シリア人権監視団」は19日、アサド政権と反政府勢力の間の停戦が崩壊したあとの1か月で、空爆や戦闘で死亡した人は3300人余りに上ると発表しました。 このうち、市民は全体の4割近い1300人余りで、およそ300人の子どもが含まれるということです。 一方アレッポですが、18日からロシアとシリア政府は空爆を停止しているとのこと。停戦時間を少しでも長引かせ人道支援にスペースを作るしかないと思いますし、反体制派もアサド政権の避難ばかりしていては、対立が激化するしかないわけです。 フセイン君のお母さんは、「政治のことは見通しはわからない。私たちにとっては安全かどうか。それだけなんです」といっていました。 #
by jim-net-news
| 2016-10-20 15:47
| 癌・白血病
2016年 09月 15日
アルビルは、犠牲祭の真っ只中。ナナカリー病院にいくとモスルから避難してきた患者が3名もいました。 驚くべきことにISの占領下でもイブン・アシール病院は機能しているようで、ケモセラピーも行われていました。 マシューアン君(1歳7か月)のお母さんに話を聞くことができました。 クルド地区に初めてやってきたこともあり、緊張しながら少しずつ語ってくれました。 マシュアーン(1歳7か月): IS占領下で4ヶ月前にサラハディーンでがんが判明し、モスル( モスルからマハムールに逃れてきて、 お母さんは、診断書を見せてくれました。驚くべきことにモスルのイブンアシールには、抗がん剤もあったようで、アブドル・アディーム医師がケモセラピーを行っていたという。X線などの検査もできているようだ。モスルには電気も通っている。物価もうわさされているほど高くはなく、ただ、危険なのが危ないだけだ。 ともかく空爆が激しくなってきた。イブンアシールにここを出るというとナナカリー病院へのサポートレターを書いてくれたそうだ。 お父さんは現在は解放されたティクリートの警察官で給料は、130,000ID=100ドルもらっているとのこと。 交通費として100ドルの支援を行う。
![]() ![]() ![]() #
by jim-net-news
| 2016-09-15 04:20
| 癌・白血病
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