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2015年 12月 18日
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by jim-net-news
| 2015-12-18 07:32
| チョコ募金
2015年 12月 13日
12月4日、ついに屋台が完成した。
ローリンの親父に昨日連絡すると、「私が取りに行く」という。キャンプから工房までは2時間近くかかるのだ。 「それには及ばないよ。彼らが配達してくれるから」 「いやいや、ちゃんとチェックして問題があったら作り直させる」 という。しかし、しばらくして電話があり、「明日は金曜日だから、(やっぱりゆっくりとしたいから)いけない」といってきた。 ![]() アルビルから運ぶトラックの運転手もゆっくりしたいというので、私たちは先回りして、ローリンの親父と一緒に屋台の到着を待った。そしてついに屋台は到着し、ローリンの親父は、これからサクセスストーリーを描いていくのだ。 動画はこちらをご覧ください。 https://youtu.be/hT1Lx9PkiJY 最初は本当に豆で子どもたちが喜んでくるのかとおもいましたが、ものすごい勢い。 ローリン、ローリンと大合唱の子どもたちです。 #
by jim-net-news
| 2015-12-13 04:33
| チョコ募金
2015年 12月 12日
アルビルに、アブシャハーブというレストランがある。
オーナーは、屋台でケバブを売っていたそうだが、評判になり一財を築き上げた。 ちょうどクーリエジャポンを読んでいたらスチュワート・バターフィールドという「スラック」というソフトを開発し170万人のユーザーを獲得している男も、若い時はレモネードの屋台を引いてたという。 アブローリンも大金持ちになれるかもしれない。先日スカイプ会議で決めた屋台が出来上がったのでお金を払いにダウンタウンまででかけていく。屋台工房には、屋台や台車を作っているだけではなく、貸し出しもしている。中古の屋台を売りに来るシリア難民は、ヨーロッパに避難するという。 しばらくすると、男の子が、台車を引いてやってきた。ハムディ君10歳は、1年前シリアのコバニから逃げて来たという。コバニはISに激しく攻撃されてしまい、この少年にはもう帰る家もない。学校には行かず、毎日バザーで客が買った電気製品などを運んでいる。一日の稼ぎは1000円ほどだという。木曜の夜遅くまで働き、金曜日に台車を返しに来る。 将来の夢を聞くと、すぐには答えが出てこなかったが、「電気技師になりたい」とつぶやくように答えてくれた。 こういう子どもも、もしかしたら億万長者になるかもしれない。屋台にはなんかそんな夢を感じさせるものがあるのだ。 ![]() #
by jim-net-news
| 2015-12-12 07:03
| チョコ募金
2015年 12月 11日
KRG(イラク国クルド自治政府)では、シリア人の就労が禁止されているわけでない。難民がたくさん入りこみ、新たなビジネスがそこに生まれている。
シリアの北端のクルド人が多く住むカミシリやハッサケは、外国人はほとんど訪れることがないような田舎の地方都市。いっぽうイラクのクルド自治区は、イラク戦争の影響をほとんど受けず、首都バグダッドは退避勧告が出され外国人もなかなか入れないこともあり、投資が盛んだ。5つ星のホテルやモールがここ10年でたくさん建った。 ![]() 当初シリア難民は、命の危険といいうよりは、内戦で物流が途絶え、仕事もないので、半ば出稼ぎのような形で、アルビルなどに働きにやってきた。 たとえば、女子。アルビルのクルド人の女子たちは、客商売を嫌う。イスラム教徒というのもあるし、もともとダマスカスや、バグダッドとは異なり地方都市としての閉鎖的な風習なのだろう。モールなどのフードコートや、カフェなどは、シリアの女子たちの格好の稼ぎ場所となった。アルバイトとしてはシリアで働くよりも格段と高い給料をもらえた。難民の子どもたちは、信号待ちの車をめがけてガムや、おもちゃを売りに来る。 一方難民の親父たちは、建築現場の仕事などや、屋台を引いて生計を支えている。 ![]() しかし、ISが攻めてくるとまるでクルド自治区も戦場になっているような報道に投資が滞り始めた。ビルの工事も止まってしまったところも多い。建築途中の建物には難民が住み着いている。また、石油の値段も下がっていること、イスラム国との戦いで戦費がかさみ、イラク政府にはお金がなく、公務員の給料もここ数カ月は支払われていない。難民だけではなく、受け入れる側の社会も疲弊し始めている。 ![]() ![]() #
by jim-net-news
| 2015-12-11 09:11
| チョコ募金
2015年 12月 11日
ローリンは何度か死の宣告を受けている。
そのたびに父親は、必死になって娘を助けようとした。 彼女が暮らすアークレ難民キャンプは、病院から車で2時間近くかかってしまう。 昨年の11月。 日本人スタッフが、ロリーンの父親は大問題だといってきた。 「電話があって昼頃ナナカリ病院で会い、薬代の領収書を受け取りました。ここまではよかったのですが、交通費を請求し始め「ロリーンだけでなく他の患者にも限られた予算で支援しており、1人だけ何度も支援はできない」と振り切って別れました。ところが夕方、事務所に親子で訪れ(たぶん病院から歩いて来たと思います)、門扉をガンガンと叩き続け、ベルを断続的にならし続けました。最初はそのうち諦めて帰るだろうと思い、居留守を装っていたのですが、あまりにガンガン叩き続け、近所にも響き渡り、耐えられなくなったため表に出て話しました。最初は「ID 200,000」を要求し、「とても応じられない」と蹴って事務所内に戻ったのですが、またガンガンと門扉を打ち付けるので再度表に出ました。シュバンに電話で通訳してもらい、「ID 50,000」まで下がったので、諦めて領収書を取って渡しました。彼らは実際に一銭もなく、アクラに帰れないのは事実で、放っておけば門の前に居座り続けたと思います。」 こういう話は、ローリンに限ったことではない。 日本人スタッフは、常に自分の「良心」が天秤にかけられる。 何か、支援の仕方に教科書があってその通りにやってたらそれは楽だ。しかし、教科書通りやっても、ローリンは死んでしまっていたかもしれない。 「今後は貧困患者を事務所に連れて来ないようにしてください。ロリーン親子はたぶん今後も、アルビルに来るたびに事務所に来ると思います。彼らにとっては金銭をくれるところは他にないからです。あの父親は話せば悪い人ではないのですが、かなりしつこいタイプです。」 結局、多くの難民や国内避難民が、周りから金銭をめぐんでもらい、子どもたちを病院に連れてきている。 そんなことしたくない。でもそれをせざるを得ないのが、ガン患者、難民、貧困といった構造的な暴力だ。 人間は貧困に打ち勝つ力を持っている。NGOは、そういう力を育てる仕事をする。 でも、がんはどうだろう。がんと闘いながら、貧困から抜け出せるのか。 イラクできちんと医療が受けれる。それは、イラク戦争をするときに、アメリカが約束したことだ。 イラクを民主化し、そして、経済制裁を終わらせ、連合国が、食料と医薬品を届ける。 2003年、ブッシュ大統領は、一般教書演説で宣言したのだ。もちろん連合国の筆頭は日本だ。その責任がある限り、私たちは、イラクの病院を支援し続けるし、そこで治療を受ける人たちは、シリア難民であろうがきちんと病院にこれるようにできる限りのことをしなければならない。そんな覚悟が不可欠だ。 ローリンの親子が「しつこい物乞い」ではなく、何か誇りをもって一緒にやっていきたいという気持ちが僕の中で湧いてきた。そこで、かき氷を作って難民キャンプの子どもたちのためにふるまうという仕事をローリンの親父にやってもらうことにしたのだ。 そして夏が終わり、冬がくる。 じゃあ、屋台であった買い物をサービスしようという話になり、カマタがお金を出してくれることになった。 早速、日本と、イラクでスカイプ会議。 こういう会議はとても楽しい。あまりに楽しかったので、ビデオにとっていると、親父が目ざとく見つけ、 「そのビデオ、いいなあ。欲しい」と言い出し、また話が脱線する。一体どんな屋台ができるのだろう。 ![]() ![]() #
by jim-net-news
| 2015-12-11 02:31
| チョコ募金
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