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2015年 12月 11日
ローリンの母ちゃんは、台所で何か炊き込んでいる。
カボチャのジャムを作っていた。 この母ちゃんは、何でもよくやっている。このジャム、売ったら面白いと思う。 ![]() ローリンの親父は、あの日のことを語りだした。 というか、あの日のことを語ってくださいといったのだが、いつの間にかカボチャの話になったいる。 「私は、ここにきて2年と3カ月、白いカボチャを探してたんですよ。イランのカボチャは黄色い。シリアのカボチャは白いのです」 僕たちはカボチャの煮込み(もう少し煮詰めないとジャムにはならない)を試食しながら、親父が種を持ってきたのだ。 「そうそう、こっちの人は種を食べますよね。道端でよくカボチャを売っているのを見かけますが、どうやって食べるのか、前から疑問だったんですよ」 ![]() 「これは、食べるのではなく、植えるんですよ。春になったら、植える。そして、秋になり収穫するのです。そして我々は、シリアのカボチャをずーっとここで食べることができるのです」 友人が土地を貸してくれるらしい。 話はどんどん外れていくのだが、しわくちゃの親父が、切々と語るカボチャの話に何か人間の本質を感じてしまったのだ。 春になったら種を植え、秋にカボチャがみのる。種を植えなければ何もみのらない。 「そろそろ、あの日の話をしてください」 「私たちは、デリックというところに住んでいましたが、ローリンが病気になり、 14日間、ローリンは、ダマスカスの病院にいたのですが、彼女は独りぼっちで、兄弟と離れ離れになってしまい、カミシリに連れて帰ったんです。そしたら、もはやダマスカスへ行く安全な道はなくなってしまった。何度か、ローリンをダマスカスの病院に連れ戻そうとしましたが、内戦が激しくなり安全な道はなくなってしまった。 ここに来るのは2つの道があった。川をわたるか、山をこえるかだ。 川をかわたると、正式なシリアとイラクの国境があります。イラクに入国できるのは、ローリンと母親だけしか許されない。私たちは、家族が一緒にいれるように山を越えて不法にイラクに入国することを選んだんです。 2人の息子たちがすでにイラクにいたので彼らを頼ってイラクに来ることになりました。国境についたら、国境なき医師団の医師がいて、ドホークの病院に連れていってくれて、そこからさらに救急車でアルビルの病院に連れてこられたのです。 とても大変でした。決心するのが、ミニバンで国境まで来て、YPGのチェックポイント。一人6ドルくらい払うと手続きをしてくれた。ローリンは疲れていたので、馬を借りて馬に乗せて国境まできました。救急車が待機していましたが、救急車は付き添いが一人だけだというので、私たちは家族が離れ離れにならないようにバンを借りてそれに乗ってきました。 シリアの小児がんの病院には、2008年に見学させてもらったことがある。 日本の病院と同じように、子どもたちの面会時間が決まっており、親であろうがその時間になると病棟を出て行かなければならない。小さな子どもが窓からママがいるであろう方向を見て、「ママ、ママ」と泣いていたのだ。おいてけぼりにされる子どもの気持ちは切ない。へたをするとそのままこの世からおいていかれるかもいsれないのだ。イラクの病院はといえば、お母さんが子どもに寄り添っている。そのことは、子どもの精神にとってはとてもいいことだが、感染症対策をかんがえれば、好ましくはない。そのあたりは、シリアの方が進んでいた。 がんの子どもを持つ家族たちの困難が、さらに戦争に翻弄されていく。 この不条理に、悲しくてやりきれなくなる。それでもカボチャを植えようとするこの親父を見ていると人間ってやつはと思うのだ。 #
by jim-net-news
| 2015-12-11 01:04
| チョコ募金
2015年 12月 04日
2011年、シリアで内戦が始まった。
民主主義を求めて銃をとった若者たちに待ち構えていたものは、あまりにも悲惨な現実しかなかった。 シリアといえば、周りには紛争があふれていたのに、奇跡的にも平和な国だった。 まさか、ここまでの内戦になるとは誰が一体予想しただろうか。 ローリンは2000年にカミシリで生まれ育った。2012年、クリスマスに神様が届けたのは、皮肉にも「白血病」という名の贈り物だった。カミシリは、シリアの最北端でクルド人らが多く住む。そんな田舎には、がんの病院などはありもしない。バスで揺られて4-5時間かけてダマスカスの病院にたどり着いた。 バスマというNGOが、がんの患者たちの支援をやっていた。 足らない薬を病院に届けたり、患者の家族の生活支援もやっている。JIM-NETも、スタッフのイブラヒムが研修を受けたことがありその時の体験を生かして、ソーシャルワーカーとしてバスラで活躍しているのだ。 シリアは社会主義の国だった。アメリカは対ソ連と、イスラエルとの関係から、シリアをテロリスト支援国家として経済制裁を課してきた。しかし、日本はそんなことを気にもせず、シリアとの関係を保ち続けた。 シリアの国家は、予算がなく、がんの薬はいつも不足していたが、シリアの金持ちたちは喜んでお金を出した。 バスマは間に入ってお金持ちのお金を吸い取り、がんの病院にとつないでいった。 そのような活動を担っていたのが、アサド大統領夫人だったのだ。 ローリンがダマスカスの病院に行くと、バスマは家族たちのためにも住居を提供し、食料も支援してくれたという。しかし、ダマスカスの状況は日増しに悪くなっていった。爆弾テロが起き、女性たちは武装勢力に誘拐されだした。 ローリンの一家は、もはやダマスカスには住めずに、カミシリへと戻っていったが、そこにはがんの病院などはなかった。カミシリの隣人たちは、イラクに行けば、がんの病院があると教えてくれたのだ。 #
by jim-net-news
| 2015-12-04 13:48
| チョコ募金
2015年 11月 16日
![]() 「いのちの花」 それは、戦争が続くイラクで、がんと闘う4人の少女たちの愛と感動の物語だ。 シリア人でありクルド人でもあるローリン。 ナジュラは、イラク人であり、クルド人。彼女にとって、果たしてイラクというアイデンティティはどれほど重要なのだろう。 ドゥアは、イラク人であり、アラブ人。 ナブラスは、ヤジディ。そして、イラク人。クルド人なのか、アラブ人なのか? 思春期を迎えた4人の少女たちに共通しているもの。それは、彼女たちが癌と闘っているという事実だった。 #
by jim-net-news
| 2015-11-16 02:53
| 癌・白血病
2013年 06月 29日
2010年 11月 12日
最終日です。
皆さま、疲れている様子。 木曜ということもあり、復習をして、終了証を渡して記念撮影をして終わりました。 復習は1からです。 安全管理の基本、抗がん剤の副作用、感染対策について質問をしていきました。 皆さま、カンニングしつつではありましたが、真剣に考え、答えてくれました。 スライドショーも一通り終え、皆さまお待ちかねの終了証です。 ![]() ひとりずつ名前を呼び、チョコレートと一緒に渡しました。 ザイナブには5日間静かにしていてくれたお礼にチョコレートをプレゼント。 ![]() 最後に記念撮影をしました。 (写真は11月3日井下先生が発つ前に撮ったもの) 今回、実は始まるまで各病院の看護師のレベルもわからないし、業務内容もわからないというところからのスタートでした。 数カ月、何をしたらいいか迷った結果、ナナカリ病院のナースを基準にして、講義内容など決めました。 あまりに簡単すぎては数年看護師経験がある方たちの学ぶ意欲を削ぐし、高度すぎてもいけない。 最終的に私が小児がん看護という本を読みふけるという事態に陥りました。 そして研修を通して、各病院の看護師のレベルがわかった他、どのような業務を看護師が病院で担っているのかも知ることができました。 また、彼らが今後何を必要としているか、そのニーズ把握も研修の中でできました。 彼らの話している内容を聞いて、一番感じたのは、高度医療を提供するだけの情報は持っているということ。 それがただの情報だということ。 その処理ができてないというか、中身がないということを感じました。 自分の知識として持っているのではなく、こういうことを本に書いてあったよ、というくらいのレベルでしょうか。 「○○をすればいいよ」というけれども、その根拠がないのです。 なぜ?と聞かれてそれに答えられなければ、その医療行為は意味がありません。 何も知らない看護師さんに何かされるのは嫌でしょう。 そういうことなのです。 今回は、その基礎の部分を少し補充できたかなと思います。 バグダード、バスラへと戻っていった皆さんが、しっかり働いていてくれたら嬉しいです。 そしてナナカリ病院の皆さまは更に、嫌というほど特訓を重ねています。 看護師さん同士の交流はとても良いものだったと思います。 これから、4つの病院でないものを補充し合えるように頑張るとナナカリ病院のホーシャングが報告してくれました。 彼を中心にし、そういうネットワークを作るのも夢ではないと思います。 実は最後に皆に研修についてのアンケートをとりました。 研修の評価をしてください。との質問、3択だったのですが、全員「普通」でした。 普通…正直だな、皆と思っていたのですが。 なぜか皆さん、その他2つの選択肢の下に線を引いてあるんですね。 なんと、後で判明したのですが。 通訳をしてもらっていた、現地スタッフ2名が「普通」以外の2つの選択肢の単語の意味がわからなかったというではないですか。 しかも、ニュースを見ながらさらっと「あの意味何?」とか聞いてくる! ちょっと笑ってしまいましたが。 皆、わからなくて線引いてたのか…ということも判明。 その他、講義内容や速度については丁度よかったとの回答だったので、それはよかったです。 次の研修はきっともう少しましなものができるはず。 全員に次はいつ?と聞かれたけど…私にもわかりません。 皆さん、お疲れ様でした。 #
by jim-net-news
| 2010-11-12 04:10
| アルビルプロジェクト
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